未来への舟――草木虫魚のいのり――
おおえまさのり
いちえんそう 2012年9月9日刊
〒408-0317 山梨県北杜市白州町下教来石489
メール singingstone4@ybb.ne.jp定価:1680円
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ブックレビュー 久松重光(「街から」2012/9)
本書は、技術過信と功利主義の果てに、原発事故という破局に至ってしまった世界に向けて書かれている。制度をいくらいじくり回しても、新しい時代を見出す道は見つかりそうにない。問題の所在は、もっと深く、そして素朴なところにあるからだ。
「原発崩壊が示唆する文明の破局の果てに、わたしたち人類は今、自然そのもののカミという〈価値として〉もっとも最後に残ってくるところの価値を必要としている。」
近代国家の諸制度の成立、機械論的世界観の成立、そして経済グローバリズムにいたるまで、西欧の歴史は、倒錯したキリスト教の神の歴史と見ることができる。
〈わたしたちは、客観という魔法にとりつかれている〉と言われ、自然の背後にカミや仏性を見出すという抽象作用ではなく、自然そのものをカミと見るところに、最後に残ってくるところの価値を見出す。
「わたしたちの世界を再びよみがえらせるためには、自然そのもののカミ(草木虫魚のいのり)の下に、わたしたちのいのちの物語を描き出してゆかなければならない」という。
星々が生まれ、そこから生命が生まれ、多様な花々の開花や揚羽蝶や孔雀蝶、鬼ヤンマや秋茜の蜻蛉、そしてそれらを見てきたわれわれの体験も、また宇宙の夢見の中にあると感じる。そして太古からの風を感じ取るのも、常に「いま」なのだという。
著者は、いたるところに「わたし」をみている。
「羊水の海に浮かぶわたし、卵のわたし、魚のわたし、両生類のわたし、爬虫類のわたしそして原始哺乳類のわたし・・・」
世界は歪な発展を遂げてしまった。それをただすには、おそらくこうした主観的な感受性の成長なしには、どんなに制度をいじくっても、未来は生まれてこないだろう。そこには「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」という宮沢賢治の精神と通底するものを感じる。
はじめに――
「わたしはこの地球という美しい星と調和した、まっとうな生き物として生きたいです。……どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか」(武藤類子 2011-9-19「さようなら原発集会」)
フクシマからの声である。
未曾有の大震災、そしてそれに引きつづく原発事故……。
戦慄したまま身をこごめる。地球という美しい星を収奪しつづけるばかりの文明の、その価値観、世界観の奈落へと崩れ落ちてゆく音が聞かれ、いのちに対する一人ひとりの目覚めが激しく突き付けられてくる。
わたしたちの生命圏は、核(放射線)を隔離することによって、はじめて誕生し、豊かな生命の花を咲かせることができた。原発、それは、核兵器と同じように、わたしたちのいのちそのものを脅かし、この地球を生命の住むことのできない星と化してしまう。スリーマイル島、チェルノブイリにつづいて、フクシマ原発事故はそのことを証し立ててしまった。核(核兵器)による平和という神話、そして核の平和利用(原発)という安全神話の崩壊……。
これらの神話はどこから生みだされてきたのだろうか。自然の中に魂(スピリット)の息づいたアニミズムの世界。そこから魂を奪い去って、わたしたちの生命圏(宇宙)の外に神を見立てて、その神との契約の下に自然を単なる物として人間の支配下においた一神教の物語。そしてその(神と人、人と物、精神と物質といった)二元論的世界観から発展してきた現代科学の価値観に支えられたわたしたちの文明……。わたしたちはそれらを人類の進化として、喜々として受け入れてきた。だが映画『10万年後の安全』が語るように、核や原発は人類最大の負の遺産となりつつあり、人類の限りない欲望を成就しようとする遺伝子組み換えは、欲望を独占するために、次世代の生命を絶滅させるターミネーター種子の開発にまで至っている。
自然保護ということさえ何とも人類の傲慢に思える。保護されているのはわたしたちの方なのだから。この世界は、自然の、草木虫魚たちのいのり(スピリット)に満たされた恵みによって生み出され、支えられ、保たれてきたのである。わたしたちにとって、進化というものがあるとすれば、それはこの地球生命圏そのものと調和しながら、それらを豊かにしてゆく物語を編み出してゆくことにあるのではなかろうか。
「あらゆる自然にたましいを吹き込み、もう一度私たちの物語を取り戻すことはできるだろうか」(星野道夫『森と氷河と鯨』)
自然から魂を奪い、単なる物と化すことによって、わたしたちは自然のそれを何のためらいもなく収奪し破壊することができたのだ。わたしたちには、再びあらゆる自然に魂を吹き込み、かつて宮沢賢治が夢想したように、そこからきらきらとしたスピリット(魂、精神)に満ちたいのちの物語を紡ぎ出してくることが求められている。今わたしたちは自らの魂をも失う危機に直面している、いや自らの魂を失ったために自然の中に魂を、カミ(スピリット)としての自然を見ることができなくなってしまったのだ。
わたしたちの世界を再びよみがえらせるためには、自然そのもののカミ(草木虫魚のいのり)の下に、わたしたちのいのちの物語を描き出してゆかなければならない。
原発崩壊が示唆する文明の破局の果てに、わたしたち人類は今、自然そのもののカミという(価値として)もっとも最後に残ってくるところの価値を必要としている。
このわたしたちのいのちの世界は、太陽や大地や草木虫魚たちのいのり(スピリット)に、恵みに支えながらつくり上げられてきた。このいのちしかり、この生命の糧しかり。そこには贈与や相互依存、あるいは互いに融け合う円融の物語がある。贈与のエネルギー論、贈与の経済学――よみがえるための、贈与の文明の物語。
そして自然から未曾有の大災害を受けながらも、最終的にわたしたちの魂が救われるのは、自然をおいて他にはない。大災害の中で、深い無常観に襲われ、諸法(すべての存在)の無我(実体の無いこと)を突き付けられる。だがなおそこに悠久な、わたしの懐としての自然がある。
わたしたちは自然の懐において育まれ、海のそこには、生命の歴史が語るように、わたしたちの魂のふるさとがある。魂がやって来て、再び魂が還ってゆく永遠のふるさと。そここそは魂の原郷としての、自然そのもののカミの原初の物語のあるところである。
わたしたちはもう一度、自然という宇宙を前にして、直接無媒介に、己の魂を解き開いて、わたしを、わたしの物語を尋ねなければならない。わたしが、世界が在るということこそ、最大の神秘であり、奇跡であるのだから。
生きるとはこうした物語の探求であり、その物語によって、はじめてわたしたちは、生と死を渡って往くことができる。生と死を渡り往くことのできない現代の社会、それはこの物語――生と死にまつわる魂の、スピリットの物語――の喪失にある。
わたしの内にスピリットの物語があるばかりでなく、わたしたちは、スピリットとしてわたしなのだ。そして夢が夢見られ、物語が語られる。
わたしたちは今、草木虫魚のいのりに満たされた新しい物語(そしてそこから生み出されてくる文化や文明)を語り出すことを求められている。世界を、わたしを、花粉の中心(生の創造の只中)に顕わし出し、自然そのもののカミに支えられた自立して協同する新しい社会の夢を実現してゆくために――。
「人間の心のなかに起きることが基本的生命現象と根本的に異なるものではないと考えるようになれば、そしてまた、人間と他のすべての生物――動物だけでなく植物も含めて――とのあいだに、のりこえられないような断絶はないのだと感ずるようになれば、そのときにはおそらく、私たちの予期以上の、高い叡知に到達することができるでしょう」
(レヴィ=ストロース『神話と意味』)
2012 Dragon Year の夏に
おおえまさのり
目次
はじめに――
第一部 草木虫魚のいのり
@ わたしを尋ねる
闇との対話 神秘 大地の夢 シャーマニズム わたし ドリームタイム
A 夢時間への旅
再統合 母なる宇宙 心の故郷 全き今への旅 大地の子宮への旅
B 神を解き開く
バルド 宗教
C 思考の彼岸
思考の彼岸への旅 道 花 永遠への投機 愛 救われて在る 信と覚 霊性 色即是空 空即是色 相入相即 空の光明 絶対肯定的生を巡って
D 草木虫魚のいのり――ニライカナイへの賛歌
母たちのカミ 自然がカミとなるとき カミのあらわれとして カミの神話 人はなぜカミを ウタキ(御嶽) 祈り カミあそび 自然そのもののカミ 永遠への回帰 取り戻された魂
第二部 未来への舟
E
花粉の中心を歩く――自然そのもののカミに支えられた新しい社会の夢――
いのちの不思議 花 巡り いのちの巡り 多様性 聖性 性 時間と空間 無限ということ 死 永遠 天国 存在 ことば 生と社会 コミュニティ 豊かさ ヴァーチャル・リアリティ 進化 歴史 倫理 伝統 贈与の経済学 祭儀 楽 遊 非暴力 ヒロシマ 夢見る母胎 国家という幻想 内なる宇宙への旅 夢――眠りのふしぎ 超絶のプログラム 瞑想という時 紅葉 神秘的合一 何もない空間 道化 学び 円融 関連生起と空 律動 食 農 医 介護 死との対話 恐れ 葬送――ひとつの儀礼 魂としての葬送 祈り 終句
あとがき――琉球弧賛歌――
いちえんそう
未来への舟
――草木虫魚のいのり――
おおえまさのり