序 Imagine――己を社会に向かって解き開こうとした時代

1960年代、それは若者たちが自分を賭けて己自身を社会に向かって解き開こうとした時代であった。1960代の

日本の反体制運動をめぐり、当時の運動の記録写真集や幾つかの長大な論考が出されたが、60年代を世界的に眺め

た時、そこには「もう一つの60年代」とも呼べる大きな潮流があった。

 もう一つの60年代――今ここという一極点に立ちつづけようとしたアヴァンギャルド、魂を解き開こうとしたサ

イケデリック革命。そしてそこから幾つもの、今日まで至り、さらに未来に向かって流れてゆこうとしている大き

な潮流が生まれてきている――母なるいのちの潮流。

原発のメルトダウンに晒されたわたしたちは今、今日の世界を支えるシステムがことごとくメルトダウンして、

機能不全に陥っている姿を見せつけられている。政治も市場も教育も……、そう人間が、わたしが機能不全に陥っ

ている。いのちのあるべき姿が見えないのだ。
生の根源的な変容が問われている。

 そうした今、60年代に端を発したそれらの潮流は、再び人を解き開いて、世界を現し出すべく、今ここにあるよ

うに思える。歩むべき未来がそこから現れ出てくる。

 もう一つの60年代を生きたものとして、その証言をここに記しておきたい。

                     2013

                              おおえまさのり

目次

第一部   魂のアヴァンギャルド――もう一つの60年代

旅立ち

ニューヨークへ ――ザ・サード・ワールド――

もう一つの旅――意識の新しい領土への旅――

カスタリア・ファウンデーション

ドリームタイムへの旅

ある旅――フィディーのこと

ブッダ・ショウ

DMTの旅

死を解き放つ

全き今への旅――死して生まれた新生――

映像言語――幻覚宇宙からの光芒

BE-IN   Make LoveNot War

コミュニティー

魂の中の部族

1021ペンタゴン・コンフロンテーション

アヴァンギャルド・ニューズリール

イッピー

付記 マーヴィン・フィッシュマンへのインタビューから

心の東へと

第二部   INDIA――魂のふるさと

INDIA

生の賛歌

永遠という時

燃え上がる魂の風土

インド人の心の故郷

チベットへの道

『チベットの死者の書』との出会い

魂のふるさと

第三部 カントリー・ダイアリー

旅のあとに

カントリー・ダイアリー(20112012)

資料

あとがき

わたしたちの内には心を解き開いて世界を夢見たいという止みがたい衝動がある。なぜならわたしたちの夢見る

力こそが世界を現し出してゆけるからだ。夢見る力を失うとわたしたちは世界を失ってしまう。

その夢はわたしたちの内に宿っている。夢(ドリームタイム)の内に深く分け入り、そこから、わたしと世界を

つかみとる。

わたしとは、人間とは何か、そしてわたしたちはどこから来て、どこへ行こうとしているのかと。

そうしてはじめてわたしたちは、わたしたちの世界をつくり出してゆくことができる。

今日の世界はそうした夢見る力を奪い、抑圧して、世界を見えなくしてしまっている。ヴィジョンの喪失が今こ

この世界を疲弊させつつある。深い閉塞感の中から抜け出して、いのちを、スピリット(精神、魂)を取り戻し、

わたしたちの社会の新しい物語を現し出すためには、ドリームタイムに分け入り、そこから深く目覚めてこなけれ

ばならない。

そして再び自然に魂を吹き込み、魂のアヴァンギャルドに満ちたいのちの物語を立ち現すことによって、はじめ

てわたしたちは311後の新しい未来を構築してゆけるのではなかろうか。なぜならわたしたちが自然をこうして

破壊することができてきたのは、自然のそこから魂を奪い去って、それを単なる物としてしまったからなのだ。

自然について少し触れておきたい。アニミズムやそれらを引き継ぐ世界観の中では、自然は自ずから然りとそこ

に在るものであり、自然そのものが神であり、あるいは自然のそこに神や魂が宿っている。そして我はそれであり

、人もまた自然に他ならず、自ずから然りと自然(じねん)であることこそが希求される。日本の仏教では「山川

草木悉皆成仏」といわれる。自然もまた仏であると。だがキリスト教(一神教)的世界観からは、自然もまた神の

造った人工物だとされ、この自然界そのものには価値はなく、世の終わりの最後の審判に神の下に救済されること

のみが価値を持つ。そして神と被造物との絶対的支配関係がそのまま写し取られて、人間による自然の支配や所有

の概念が生み出され、また神と被造物を絶対的に分かつそこから主客の分離した世界観や二元論的、還元主義的科

学が育まれてきた。市場原理に経済をゆだねる商業資本主義やグローバリズムもまたそこに端を発している。今わ

たしたちはそれらの限界と崩壊に直面している。これらの枠組みを大きく超え出てゆくことが求められている。一

即多である自然(じねん)の世界へと歩み行くことの中からこの世界の新た枠組みや物語を編み出してゆくことだ。

この本の出版の機会を与えてくれたのは街から舎の本間健彦さんだ。

 街から舎の本間さんから送られてきた彼の新著『60年代新宿アナザー・ストーリー』。本間さんの青春であり、

また彼の原点となった六十年代を、彼が編集長を務めたタウン誌『新宿プレイマップ』から検証した極私的フィー

ルド・ノートだ。その「あとがき」に「私は、昨年末、政権交代が後戻りして六〇年安保の頃の首相・岸信介の孫

が首相の座に帰り咲いたというニュースに接した時、六〇年代が『覚醒の時代』だったという説に異議を唱えない

わけにはいかなくなった。結局、何も変えられなかったではないか」と。わたしにとって、それは2001年の911

の出来事だった。「星条旗」を歌いながら熾烈な報復爆撃に全国民を挙げて狂喜する姿。世界は再び憎しみと暴力

の連鎖への道を歩み出していった。そんな時、神戸のシアターでわたしが1967年にアメリカで制作した『Great

Society
』という16ミリ映写機六台を駆使した六面マルチ・スクリーンの映画を上映する機会があった。それは六

十年代アメリカのケネディーの登場からヴェトナム戦争、そして核兵器競争へとエスカレートしてゆくニュースフ

ィルムを映し出しながら、覚醒を夢見た若者たちの文化の蜂起を現し出したドキュメンタリー映像をコラージュし

た作品。上映されてゆく映像を見ながら、わたしはあの六十年代とは何だったのか、あの覚醒は、あのサイケデリ

ック・レヴォリューションによる意識の変容は、あのニューエイジ・ムーブメントとは何だったのか、何も変わら

なかった、何も変えられなかったのではないかという激しい思いに駆られつづけたものだった。

311後の日本もまた、アベノミクスに煽られて、311のフクシマなど無かったかのように、原発再稼働へ、

原発プラントの輸出へと破滅への道を走り出している。そんな時だからこそ、敢えて心の原点としての六十年代を

問うことで、未来を切り開いてゆかなくてはならないのでは……。そうした思いがわたしの内に湧き起ってきた。

こうした思いから、この春『魂のアヴァンギャルド――もう一つの60年代』を書き綴っていた。臨床心理学者アー

ノルド・ミンデルは言う。「周縁化された人々はしばしば、生き残るために、心の重心を保つための霊性に目覚め

、自らの苦しみを感じ、それらを乗り越えることを可能にする力を得る」と。その力を現し出すべく……。

本間さんの「あとがき」を読んで、街から舎に原稿を読んでもらおうとお送りしたところ、熱いメールを頂いた

。「
原稿読ませてもらっています。まだ第一部を読了した段階で、第二部はこれからですが、全篇を読了する前に

、取り急ぎご連絡します。そのくらい私の気持ちは昂ぶっているということです。おおえさん、この本、街から舎

から出しませんか?
」と。

この本を世に送り出してくれた本間健彦さんと街から舎のスタッフに心からの感謝を捧げたい。

そして「シティーライツ・ノートブック」シリーズとしてはじまった街から舎のこの新企画が、この時に、新た

な力を鼓舞して世界を切り開いてゆくものになることを!

                       2013年 夏

                       おおえまさのり

HOME

最新刊    2013-10-20発売

 魂のアヴァンギャルド
          もう一つの60年代

    おおえまさのり    街から舎    1600円+税  

        (大手書店及びアマゾンにて購入できます
)

60年代の熱いカウンターカルチャー蜂起のムーブメントを、

その最先端のニューヨーク、インド、ネパールで体験した、

サイケデリック革命の旗手、おおえまさのりの自伝的60年代メモワール。
























































































































































































































inserted by FC2 system