下段から0号・1号・2号・・・となっています。
宇宙の岸辺で 2024年 3号 ドラゴンイヤー
恐怖にかられて、さらなる分断へと、戦いへと、殲滅へとしのぎ削る自律型AI殺人兵器開発の狂騒曲--。
果てなき妄想の、虚構の現実に生きる人々--。
人のあわれというべきか--。
分断を超えられぬ愚かさか--。
無分節の世界を見ることのなき者のかなしさか--。
人の世の、人の世のかなしさか--。
一人立つ己の、宇宙を一飲みした絶対のただ今に立つわたし。
--世界であるわたし。
宇宙の夢見を生きてこそあらむ--。
ただただに、ただただに〈在る〉。
雪の降る、雪の降る彼岸--。
雪よ降れ、雪よ舞え。
死に果てる世界--
死に果てるわたし--。
人よ、人よ。
--絶対の今に立つしかない。
そこに在れかし。
WAR IS OVER if you want it
宇宙の岸辺で 2024年 2号
いのちの祭り2024開催
いのちの祭り2024が8月29日から9月1日まで長野県大町市の鹿島槍スキー場で開かれるという。
1988年8月に開かれた「いのちの祭り’88」で蒔かれたいのちの種は、日本の各地で発芽し、花を咲かせ、実を結んで、それらの種を大地に蒔いて、さらなる新たな芽が発芽しつつある。
一方、二〇〇一年の同時多発テロをはじめとして、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザの殲滅に至るわたしたち人類がいる。いのちが危機にあり、人であることが危機に晒されている。
分断という幻想が争いを呼び寄せている。分断の幻想から解き放たれることだ。こだわるべき自分も闘うべき社会もない。
いのちはつながり合っている。
分断じゃなくONE
LOVE!
わたしを開き見、世界を開き見る--いのちの祭り2024。
宇宙の岸辺で 2024年 1号
明けましておめでとうございます
宇宙の岸辺で 2023年 12号
2023年を振り返り見て
崩れ落ちゆく世紀--。
9.11(2001年同時多発テロ)、3.11(2011年フクシマ原発事故)、ウクライナ侵攻(2022年)、ガザ殲滅(2023年)……。
崩れ落ちゆく--。
物語の崩壊--人の、世界の、国家の、イデオロギー(資本主義・民主主義・国連などなど)の……崩壊。
新たな秩序は
それらの死の中にこそある。
今こそ、物語の外へ--。
在るのは、ただ、非人称(無分節)の〈わたし〉。
こだわるべき「自分」、闘うべき「社会」などどこにもありはしないことを知ってさえいれば、何をすることもできるだろうし、人を侵すということもまた、なくなる。……区別という幻想が争いを呼び寄せるのだ。(池田晶子)
赤裸々な欲望と、とんでもない理想主義と透徹した宇宙感覚とが共存して渦巻いている、原色の人間たちの世界。人間が生態系の一環として動物や植物たちと平等に、沸き立つような陽(ひ)射しの中で生まれて死んでゆく。これでいいのだ。(見田宗介)
「僕たち全員が60年代という船に乗り、新しい世界へ行ったんだ。僕らは誰もが輝いている。月や星、そして太陽のように」(ジョン・レノン)は、今どこに……。
宇宙の岸辺で 2023年 10号
11月23日に開かれた『わかこのふしぎの大千世界』出版記念絵画展では、緑の光を浴びた絵たちがとても嬉しそうに、今ここに輝いていた。そして何と、わかこが絵を描きはじめるきっかけになったテリー・ライリーさん本人が来場してきてくれたのだった。大岩の前に掲げられた絵の前でイマジンを歌うアマナ。
宇宙の岸辺で 2023年 9号
『わかこのふしぎの大千世界』(おおえわかこ画・おおえまさのり文 いちえんそう刊)が、装丁の持留和也さん、印刷製本の桝田屋昭子さんらの力によって、ここに生まれ出ることができました。自分たちの手による自主出版です。ふしぎを愛でる心から開けくる世界、ご一読頂ければ幸いです。
思いっきり絵を描きはじめたのは八ケ岳に引っ越してからのこと。気がつくと、子どもたちの使い残したクレパスを使って、ストーブの周りの端材やベニヤ板にゴリゴリと落書きをしている。クレヨンの色が勝手に動き回る、まるでダンス。(あとがきより)
「おおえわかこという種子のなかの宇宙のなかで、銀河や星雲がとび交い、湧き立つような雲がながれ、風が吹き、つまり、魂の気象が観測されると、手が解き放たれたようにうごき、宇宙光線のような自由な線を描きはじめる。これは肉体ではなく、精神のアクション・ペインティングではなかろうか」??ヨシダヨシエ
A4変形版(210×210mm) カラー32頁 白黒144頁 ハードカバー いちえんそう刊
定価3080円(2800円+税) 送料無料
申し込み先 郵便振替口座 いちえんそう 0010-1245-18435
また11月23日(休)には「いちえんそう」(山梨県北杜市白州町下教来石489)の前庭で、『わかこのふしぎの大千世界』出版記念展を開催予定です。原画に加えて、舞い踊る絵の数々をご高覧いただければと思います。詳しくは後日お知らせさせていただきます。
宇宙の岸辺で 2023年 8号
意識として 130億2023年8月15日
意識として世界は在る ということではなかろうか。
--意識のその顕れとして。
(世界を物質として見るからいけないのだ。)
意識は生まれることも、滅することもない。
ただ在る。
(永遠から永遠へと。時間のないそこで。)
〈今ここに全存在を賭けて--〉
存在(世界)を(解き開き)花咲かせる。
(つねにすでに)世界は開いて在る。その開示を生きて在らむ。
宇宙の夢見が我が夢見--。
世界は(わたし)の意識によってはじめてつかみとられ、
意識(非人称のわたしなる意識)の中へと溶け去り、意識こそが世界である。
宇宙の見ている夢をわたしが見ている。わたしの夢見が宇宙の夢見であり、
まことそれが世界である。
非人称のわたしの舞い踊り、歌い、叫ぶ。そを、舞い踊らむ--。
7月21日
NO NUKES ONE LOVE
12年前の、福島原発事故後の、2012年の「NO NUKES ONE LOVE いのちの祭り」で、喜多郎は「次は、原発のない世界でいのちの祭りを」と呼びかけましたが、世界は原発の再稼働へとシフトを切り、ウクライナへの侵攻では核の使用もためらうべきものではなくなってしまいました。
今わたしたちは、わたしたちが作り上げてきた、民主主義とか国連といった大きな物語が、もはや何の有効性も持ちえず、砕かれてしまった世界を見せられているように思います。
第二次世界大戦に従軍した女性にインタビューした『戦争は女の顔をしていない』の、ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシェービッチは、「第二次世界大戦後のすべての秩序を破壊している」と。また世界的なベストセラーとなった『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリは、グローバルな秩序(より大きな物語)をみんなして壊してしまったと。
わたしたちは神話や宗教や民族や国家、あるいは資本主義や共産主義、民主主義やナチズムといったものを巡って争い合っているわけですが、ハラリは、自由主義や共産主義、資本主義や国民主義、ナチズム……企業や法制度や国家や国民、そして人権や平等や自由もまた、七万年前にホモサピエンスが手にした認知革命、ないものを想像する力によって生み出された共同幻想的虚構以外の何ものでもないと。
ジョン・レノンはイマジンで
天国なんてない、地獄もない。空が広がっているだけ。
みんな今この時を生きている。
国境なんてない、殺したり死んだりすることもない。
宗教もない、みんな平和に暮らしてる。
財産なんてない、欲張ったり飢えたりすることもない。
みんな兄弟なんだ。
みんなで世界を共有している、と。
再びいのちの花を咲かせるには、わたしたちがわたし自身から自由であることこそが問われているように思われます。一度虚構の外に出て、世界を見渡してみることが。
正義の戦いからの脱却こそ希求されるべきもの。平和は(戦争によってではなく)〈平和であること〉によって勝ち取られる他ない。
花の咲く、その在るがままに。
宇宙の岸辺で 2023年 7号
6月24日
笠松真智子ソロプレイ「まだジャバにいるゼ 豪華絢爛生前葬」
初めて乗った救急車の中でも歌っていた!?とか、いないとか。
♪人生イロイ〜ロは誰だってそうで、死ぬまで初体験が想像をはるかに超えてやってくる。
この3年で乳ガン再発、口腔ガン再再発で、只今余命一か月の網渡り…余命3か月と言われた時、ちょうど3か月目に本番のステージに挑んだ。声を出す器官が全てやられ、痛み止めも効かないような状態で
声が出たら奇跡だな…奇跡は起きた!?
そして余命1か月、今すぐホスピスに入らないと、明日死んでもおかしくない状態だーと言われて…
じや、1か月以内にソロステージと医者があきれるご乱行だ!!
まだシャバにいるぜ!/の気合が共鳴する 私の大好きな・ベベン(太棹で)ほんものの・ベベンスペシャルなベベン人たちが次々と「私も協力させて!」と集まった
奇跡のチームが全力支えてくれる、ありえネェーシチュエーション。
表現というチャレンジを見守ってくれた一人ひとりにどれだけ愛と感謝を伝えたいか。
日常は生きづらく、舞台で初めて自分の呼吸ができる私が私でいられる場、時空間を共につくってくれた。舞台では奇跡が起きる…絹糸の上の綱渡りを渡れたら、異次元に行ける−と、お互いに信じている。
同志よ、あなた達に今まで感謝と愛を伝えさせてくれ〜〜〜
私が師事した大野一雄が、踊るコト命がけのお遊びと言っていた。
まさに命がけのおあそびに、サーお立合い!!
東京中野の小劇場テルプシコール
命がけの踊りがつづく。
そして、わたしの夢は、花咲かばあさんになること、世界を花咲かせること……。
はらはらと花びらが降り注ぎ、その中に伏しゆく--。
皆皆で散花して、弔辞がはじまる。
真智子さん、今日は、我が家の田んぼに植えている、縄文蓮のつぼみを持ってきました。もう少しで咲くのですが、生前葬なので、蓮のうてなにあなたが生まれるには早すぎるので、ちょうどいいのかなと。
真智子さん
一輪の花の中に世界のすべてがあるように、真智子さんの中に世界のすべてがあって、踊り、舞いつづけている。
それが僕にとっての真智子さん。
その君に、この一遍の詩を捧げます。
好雪片々 別処に落ちず
はらはらと美しい雪が舞っている
しかし落ちるところなど どこにもない。
永遠の〈わたし〉があるばかりだ。
これをもって弔辞と致します。
真智子さんと共に歓び合えたことに感謝!!です。
おおえまさのり
そして弔辞はつづく。踊りで、パントマイムで慟哭しつつ、あるいはクラリネットでと。
白いベールに包まれた彼女は聖母マリアのようでさえある。
ワンシーンごとに、長く深い闇の暗転があり、そこで人は、生とは死とはと、死を抱え持った生を見つめ、自己に問い返す時と向かい合わさせられる。
彼女自身の存在がまさにそのままで、人々を花咲かせ、世界を花咲かせてきたのだ。
存在の痛みを抱えつつ、そこに在る彼女。いかなる抱擁が彼女を解きほどいてくれるのか。
最期まで花咲かせつづけてくださいと……。
(かつてぼくに、身体表現をしたらと言われて、踊りをはじめたのと。そして今日ほど存在を身近に感じたことはなかったとも。)
7月のころ、蓮の咲く野を訪ねてゆくことができたらという。
深々と問い返す時を持ちながら、深夜の小淵沢にたどり着く。
そう、真智子のソロプレイはソロじゃない。
世界を舞い踊らせ、世界と共に舞い踊っている。
(彼女からもらった力を、世界に返してゆこう。)
宇宙の岸辺で 2023年 6号
自然農の提唱者川口由一さんが、6月9日旅立たれた。84歳。川口さん、ありがとうございました。
山梨県北杜市長坂町 三井さんの自然農の実践田田にて
1998年頃
宇宙の岸辺で 2023年 5号
5月7日
部族降臨対談 縄文とヒッピー
5月6日、富士見町高原のミュージアムで、「部族降臨」の企画展の、「縄文とヒッピー」という、おおえまさのりと富士見町の井戸尻考古館館長の小松隆史さんによる対談が行われた。会場には、かつて1960年代の終わりに富士見町に作られた部族のコミューン「雷赤烏族」に暮らしたアキさんなども来ていただき、当時の暮らしなども生で聞くことができた。また小松さんからは、交わってゆくことによる戦いのない縄文社会の在り方や住んだ土地を再び神なるものへとお返ししてゆく所有なき社会、そして死と再生の循環する生のお話しなどを聞くことができた。以下に、おおえの冒頭の話と終わりの部分の対談メモを記載。
〈はじめに ヒッピーとは何だ〉
本日の対談は、縄文とヒッピーということですが、そもそもヒッピーとは何かというぼくなりのヒッピー観を、はじめにお話しさせて頂きたいと思います。
今回の部族降臨の展示にも紹介されている前衛音楽家のジョン・ケージなどが始めたアヴァンギャルド・アート、前衛芸術のムーブメントに関心を持っていて、そうした映画を作りたいと、1965年、ニューヨークに出かけました。
ちょうどそこでは、サイケデリック・レヴォリューションという大きなムーブメントが起こり始めていました。サイケデリックというのは、サイケが魂で、デリックが解き開くという意味で、魂を解き開くということなのです。
60年代当時、魂を解き開くサイケデリック・ドラッグは、わたしたちの魂を解き開く大きな可能性を持ったものとして注目され、研究されていました。日本でも京都大学医学部の加藤清さんが研究を進められ、今回の部族降臨で上映された『諏訪之瀬第四世界』の監督上野圭一さんによる加藤清さんへのインタビュー『この世とあの世の風通し』に当時の様子が語られています。
アメリカでは、ハーバード大学心理学教授のティモシー・リアリーやリチャード・アルパートといった人たちが学生たちにサイケデリック・ドラッグを与え始めて、またたく間に、全世界に広がっていったのです。
そうした人々をタイムなどのメディアが、ビート・ゼネレーションのヒップなという言葉から、ヒップな人々、ヒッピーと呼び始めたわけです。
そして、そのサイケデリック・レヴォリューションの潮流は、ロックやサイケデリック・アートにとどまらず、インドやチベットの精神世界を解き開き、個を解き開かない限り世界は変わらないとするニューエイジの思想を開き、また観察するわたしたちの意識の関与を考えざるを得ないとするニューサイエンス、そして個人を超えた領域を扱おうとするトランスパーソナル心理学などの世界を切り開いていったわけです。
そこに見られるのは、わたしの中に魂があるのではなく、魂がわたしをしている、魂が星々となり、木々となり、動物となりしていると。この世界を魂の現れとして見るということです。
1967年に発せられた部族の人々の宣言『部族宣言』にも、「魂の呼吸を取り戻させるべく」とあります。
ヒッピーとは、魂を生きようとした人たちではないかと思います。
ひるがえって、縄文の土偶などを見ていると、魂がその中に吸い込まれていってしまう感覚に襲われます。
縄文の人たちもまた、魂の現れとして世界をとらえ、星々をわたしとし、動物や木々たちをわたしとして、わたしの中を銀河がかけ渡る壮大な宇宙を生きていたのではないかと思います。ちっぽけな近代の自我というわたしではなく、まさに宇宙的な魂のわたしを生きていた人たちではないかと思います。
〈おわりに 縄文とヒッピーが現代に問いかけるものについて〉
ロシアのウクライナへの侵攻によって、わたしたちは、わたしたちが作り上げてきた、民主主義とか国連といった大きな物語が、もはや何の有効性も持ちえず、砕かれてしまった世界を見せられているように思います。
第二次世界大戦に従軍した女性にインタビューした『戦争は女の顔をしていない』の、ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシェービッチは、「第二次世界大戦後のすべての秩序を破壊している」と述べています。
また世界的なベストセラーとなった『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリは、グローバルな秩序(より大きな物語)をみんなして壊してしまったと言っています。
わたしたちは神話や宗教や民族や国家、あるいは資本主義や共産主義、民主主義やナチズムといったものを巡って争い合っているわけですが、『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリは
自由主義や共産主義、資本主義や国民主義、ナチズム……企業や法制度や国家や国民、そして人権や平等や自由もまた、七万年前にホモサピエンスが手にした認知革命、ないものを想像する力によって生み出された共同幻想的虚構以外の何ものでもないと。
人類は、想像が生み出した共同幻想的虚構を巡って争い合っていると喝破したわけです。
ハラリはテラワーダ仏教(東南アジアに伝わっていった仏教)の瞑想の実践から、こうした人類の虚構性を暴き出しているのですが、まさに彼もまた、魂や精神を解き開いていったサイケデリックの、ヒッピーの系譜の中にあるのではないかと思います。
そしてサイケデリック・レヴォリューションを生き切ったジョン・レノンはイマジンにおいて、
天国なんてない、地獄もない。空が広がっているだけ。
みんな今この時を生きている。
国境なんてない、殺したり死んだりすることもない。
宗教もない、みんな平和に暮らしてる。
財産なんてない、欲張ったり飢えたりすることもない。
みんな兄弟なんだ。
みんなで世界を共有している。
と。
縄文の人たちもまた、
みんな今この時を生きている。
国境なんてない、殺したり死んだりすることもない。
宗教もない、みんな平和に暮らしてる。
と、イマジンの歌を歌っていたのではないかと想像(イマジン)しています。
わたしたちは、この共同幻想的虚構の外に出ない限り、滅亡への道を歩む他ないと思われます。一度虚構の外に出てみて、世界を見渡してみることだと思います。そしてその外に新たな物語を紡ぎ出してゆくことだと。
サイケデリック・ゼネレーションが、ヒッピーたちが、部族の人びと解き開いてこようとした道の中にこそ、この閉塞してしまった世界を解き開いてゆく道があるのではないかと思います。
ヒッピーと縄文はわたしたちの過去ではなく、わたしたちの未来なのだと思います。
このヒッピーと縄文の種を世界中に種蒔きしていって欲しいと思います。
4月8日
部族展『部族降臨』 富士見町高原のミュージアムではじまる。
わたしたちはみんな、自分の物語を生きている。そして自分より少し大きな、社会とか民族とか国家という物語。あるいは民主主義とか社会主義とか共産主義といった物語。あるいはキリスト教とかユダヤ教とかイスラム教とか仏教とかヒンズー教といった宗教の物語を生きている。
より大きな物語を持つことによって、わたしたちはより大きな社会や世界を作り上げることができてきた。
しかし、ロシアのウクライナへの侵攻によってわたしたちが直面させられたものは、民主主義とか国連といった物語が、もはや何の有効性も持ちえず、砕かれてしまった世界の姿である。
『戦争は女の顔をしていない』のスベトラーナ・アレクシェービッチは、「第二次世界大戦後のすべての秩序を破壊している」と。
辺見庸は、世界は砕かれたと言い、「すべて、ゆっくりと根源に舞い戻らなくてはならない。最初から考えなおさねばならない。面倒だが、1からやり直しである。改めて問わなくてはならない。まず、人とは何か?人は人を殺してもよいのか?人はなぜ人を殺すのか?悪とは何か?善とは何か?……言葉。軍備ではなく、言葉が足りていない」と。
ユヴァル・ノア・ハラリもまた、グローバルな秩序(より大きな物語)をみんなして壊してしまったと。
この絶望的な状況の中で、わたしたちは、双方(世界)が死滅するまで戦い果てる他ないのだろうか。世界はフリーズしてしまっている。人類は進化をまちがえたのにちがいない。
語り出すべきものは、存在するとはどういうことかという最も根源的な問いに立ち返って、そこから世界を紡ぎ出してくることだ。そこにこそ世界を再び構築してゆくための普遍が開いてあるのを見ることができる。
〈存在〉の神秘の前に沈黙し、その不可思議に耳を傾けることだ。そうした文化(物語)を今こそ立ち上げることだ。
そこにまで人類の危機は立ち至っている。そうではないだろうか。
その試みへと、ここに〈沈黙〉からささやかな〈ことば〉を語り出してみたい。
〈沈黙〉の〈ことば〉を書く 序 より
宇宙の岸辺で 2023年 2月号
2月9日
芋平さんのパートナー石関佳代子さんが昨年11月に亡くなったと。
昨年夏には芋平さんの回顧展を開いて、やるべきことをやりきって旅立っていった。
そして二人して、青春を過ごした小笠原の海に散骨されたよし。
二人して逝ってしまうと、寂しきものがある。ジャスミンの香を捧げよう。
宇宙の岸辺で 2023年 1月号
1月元旦
わたしたちはみんな、自分の物語を生きている。そして自分より少し大きな、社会とか民族とか国家という物語。あるいは民主主義とか社会主義とか共産主義といった物語。あるいはキリスト教とかユダヤ教とかイスラム教とか仏教とかヒンズー教といった宗教の物語を生きている。
より大きな物語を持つことによって、わたしたちはより大きな社会や世界を作り上げることができてきた。
しかし、ロシアのウクライナへの侵攻によってわたしたちが見たものは、民主主義とか国連といった物語が、もはや何の有効性も持ちえず、砕かれてしまった世界の姿である。
わたしたちは今、さらに大きな物語を必要としている。
そのために、わたしたちは、かつて太古の人々が、あるいは幼子が、無限宇宙に〈わたし〉が存在することへの畏怖的自覚にはじまり、やがて死しゆく〈わたし〉への自覚から、〈わたしとは何か、存在とは何か、この宇宙とはと激しく問った存在の根源から問いはじめる他はない。神秘の前に人は沈黙し、沈黙こそがすべてを語りえることだろう。
『わかこのふしぎの大千世界』を今春に刊行予定です。よろしく。
宇宙の岸辺で 2022年 12号 2022年12月
2022の年の、終わり往く時に--
(--ウクライナ侵攻の年の中で--)
仰ぎ見る宇宙--
果てなき宇宙に存在するこの孤独者--。
死し往く命--。
わたしとは何だ、という深々とした存在の、答えのない問い--。
(「無限」という途方もない現実を前にして、人は、立ちすくむ。
殺し合いなどに関わっていられようか。
ロシアによるウクライナ侵攻によって世界が砕かれてしまった
からには、存在をその根源から問いはじめる他はない。)
--深々と問いの前に坐りおる。
--深々と問う。
--問い果つるらん。
雪のふりしきる--。
11月26日 わくわく田んぼの収穫祭
コロナ禍もあって3年お休みした、4年ぶりの、わくわく村の、わくわく田んぼの収穫祭。
タ―ボー&教子も北相木から駆けつけてきてくれて、パワフルな歌を熱唱。60を越え、今をこそブレイクスルーしようと、心の本音の、イマジンを歌い上げてくれた。
人と人との出会いの悦び、豊かさを改めてかみしめた収穫祭だった。たくさんの収穫のあった収穫祭。食べ物以上の豊かなものがあった。
11月1日 もみじがまぶしい。
〈生、その永遠への旅〉
死は無い。
無いは無いから
〈在る〉しかない。
存在の絶対原点である一瞬一瞬の永遠の今に〈在る〉以外に、
在りようがないから、
永遠として〈在る〉ばかりだ。
10月24日 インターネット配信番組DOMMUNE 『UNDERGROUND CINAMA FESTIVAL'22』特集 ZOOMでのオンライン参加。
(「わたくしはまもなく死ぬのだらう。わたくしといふのはいったい何だ」--宮沢賢治)
(戦禍) 死--〈わたし〉とは何だ?
(宇宙の辺境の地球という星に在る孤独者の〈わたし〉)
(魂の旅) 宇宙が〈わたし〉であり、〈わたし〉が宇宙である。
魂である〈わたし〉。
(インド) 今ここの絶対性
魂の普遍性
(八十翁) 空の、空なる色。(何でもありの、何にもなし。--存在の非意味性。)
(ウクライナ) 世界は毀れた。そう、もう一度0から、人類とは、〈わたし〉とは、〈存在〉とは何だというところからはじめるべきなのだ。
7月31日
宇宙そのものである〈わたし〉が在ることができるだけである。
宇宙が〈わたし〉をして感受させ、思考させ、感嘆させつづけている。
宇宙そのものの何たるかを誰も知らず、不可知で、意味を超えて、在る。
空の、空なる色--。
殺し合い、憎しみ合って何とするのだろうか。マーヤ(幻想)のマーヤ(幻想)。
7月13日 蓮の彼岸をめざして草取り。
宇宙の岸辺で 2022年 6号 2022年6月
6月15日
魂(意識、精神)の在りてある
ふかしぎである
魂の在りてある
魂の在りてある--。
宇宙はわたし (魂)をとおして
宇宙を語らせ
そを踊らせる
わたしが宇宙である。
(意識の、精神の、魂の)そのゆえに
そ (意識の、精神の、魂のつくりあげた物語) をめぐって争い合い、殺戮し、奪い合っている。
梅雨寒の空に
リンとみやまおだまきが咲いてある
魂の在りてある
魂の在りてある--。
--このふかしぎをこそ。
リンと。
5月28日
しばらくぶりに雲が往き、星々がキラリと輝きある。サソリのある。宇宙の広がりゆく闇に浮かび上がるこの星。この星の闇の下に、遠く、重く、人という類の、己にとらわれた人々の、血みどろの戦場がある。
4am、白々と明るく、東の空にキラリと三日月の鎌のある。山の際は茜色を帯びて、(かの地の戦場の苦悩が心を揺さぶる。)
辺見庸が「すべて、ゆっくりと根源に舞い戻らなくてはならない。最初から考えなおさねばならない。面倒だが、1からやり直しである。改めて問わなくてはならない。まず、人とは何か?人は人を殺してもよいのか?人はなぜ人を殺すのか?悪とは何か?善とは何か?……言葉。軍備ではなく、言葉が足りていない」(「砕かれた世界」生活と自治)と苦悩を吐露していたが、戦いのためのさらなる軍備増強ではなく、まことそこから問い直してゆかないかぎり、いやそこにしか、人類の希望はありえないのではなかろうか。
死を前にして、問いは、人とは何だ、わたしとは何だ、存在とは何だであろう。
「ウクライナに世界に平和の想いをはせて」展 山梨県北杜市白州町鳥原 あおぞら共和国
5月7、8日 13、14、15日
人類は、物語という虚構を現実として生きているのだと理解できれば、少しは……。(国家や民族や主義、主張などなどの)虚構に何と取り込まれて生きていることか。
この宇宙が存在することの驚異的奇跡の前に深くこうべを垂れて祈ることができる他に、人にできることはない。
この宇宙の奇跡の前に、(ひたすら高性能の殺戮兵器の開発を推し進め、戦い、殺戮し、憎しみしてゆく、まこと)哀れである。
ことばの力をこそ、
宇宙の奇跡の前に在ることの力をこそ。
--魂(意識、精神) の踊り場。
在ることの奇跡(存在のふしぎ)の前に坐りおる。
(--そうした「時」を人々は失って久しい。)
宇宙の岸辺で 2022年 4号 2022年4月
4月10日
見田宗介(真木悠介)さんが1日に旅立っていったと。84歳。『気流の鳴る音』など、近しい存在として、交流を重ねてきたが。存在の根源から世界を問う社会学者だった。
見田宗介(真木悠介)さんには、70年代後半、西荻窪の、オルタナティブ・スペースとして開いた「ホビット村」で、『気流の鳴る音』や宮沢賢治などについて講義をしてもらったり、彼のゼミの学生たちが「ホビット村」の講座に足しげく出入りしていたりして、共に交響してきた経緯がある。
彼は2019年に刊行された『超高層のバベル』あとがきで「前世紀末の思想の極北が見ていたものが〈神の死〉ということだったように、今世紀末(20世紀末)の思想の極北が見ているものは、〈人間の死〉ということだ。それはさしあたり具象的には、核や環境破壊の問題として現れているが、……未来へ未来へと意味を求める思想は、終局、虚無におちるしかない。……人類の死が存在するということ、わたしたちのような意識をおとずれる〈世界〉に終わりがあるという明晰の上に、あたらしく強い思想を開いてゆかなければならない時代の戸口に、わたしたちはいる」と記している。
見田はいう。死をかかえもつ生というニヒリズムを超えるには「この有限性としての生を、歓びに充実した生として生きることを支える思想」を、そして共存してゆくには「〈共存〉を歓びに充ちた呼応の世界として生きることを支える思想でなければならない」(『戦後思想の到達点』)と。
4月6日
神代桜 今年もがんばって花を咲かせてくれている。
自分を消してゆくと、自然(超個、非人称の意識)へと抜けてゆく。
草間彌生「水玉模様で自分も周りも埋めていくと、自分がなくなるの」と。かくして彼女は宇宙を自己とする。無限の球体の内に居ながら、自身、無限の球体となる。
松澤宥「心が死に捧げられて、その代償となってふとのこされ、行われ、思はれて来た」と。心が死に捧げられてこそなのである。そこにアートが、生が、存在がある。
自分を消す(作業に努める)んじゃなくて、ただ自然に入って行けばいいんだ。それが自然なのだから。(人は本来、そしていつも、自然なのだ。それ以外であることはできない。)
130億光年の広大無辺な宇宙にあって、このちっぽけな地球の中で、戦闘、侵略だと。この広大無辺な宇宙に、このちっぽけな地球の在ることの、その生の奇跡にこそ、思いを馳せて、宇宙を、己が存在を顧みることだ。人類は進化を誤ったのだ。
宇宙の岸辺で 2022年 3号 2022年3月
3月13日
諏訪湖畔にある諏訪博物館で、松澤宥生誕100年祭展。
松沢宥のノートに記されたように「心が死に捧げられて、その代償となってふとのこされ、行われ、思はれて来た」軌跡が松沢宥のアートなのだろう。死に行く存在を見据えた観念(意識、精神)の表出の連帯(メールアートや観念の共同体への志向)。
1月30日
傘寿。八十翁、〈存在〉のふしぎを訪ねおる。
〈存在〉のふしぎを訪ねつづける八十年。
生とは、〈存在〉のふしぎを訪ねる旅。あの世からこの世まで、宇宙の果てからこなたまで、始原から終末まで、そのすべての向こうからかなたまで。そのすべては〈わたし〉の内宇宙の、意識の旅。意識の旅の永遠に、普遍に遊ぶ。それ以外の、何もない。
宇宙の岸辺で 2022年 1号 2022年1月
1月1日 −8℃。ぐっと冷え込みながら、快晴の元旦。
コロナ禍において、新しい資本主義だ、いやコモン(協同)だとか経済を巡る話しばかりが交わされているけれども、そこで問われているのは、わたしたちは自然の一部であり、死を抱え持った存在であること、そしてその生死する〈これ(存在)〉とは何かこそが問われているのではなかろうか。
かつてルーブル美術館で古代エジプトの展示室に足を踏み入れた時だった。ミイラを収めた棺があり、その棺の蓋が開けられて、棺の内側に彩色された星々の宇宙が、星間飛行する宇宙船の光景のように広がり、意識が無限へと展び広がってゆくのを覚えたことがある。わたしの内宇宙がそこへと激しく旅してゆく。この旅をこそかれらは旅していたのだと。
この意識の旅をしている〈これ〉って、何だろうか。〈これ〉は、意識として、他と、宇宙のすべてと意識し合って、〈ここ〉に在っていて、宇宙のすべてが、意識として〈これ〉である。〈これ〉において世界は感受され、〈これ〉に感受されることによって世界は在るからには、世界は〈これ〉であり、世界は〈これ〉の展開に他ならない。その〈これ〉をこそ問うべきであろう。〈これ〉とは何か、と。
1月13日 菅平の石関芋平さんが1月9日に旅立っていったと。『人の祖先は猿でもいいけど芋でもいい』(現代書館)と世を笑い飛ばす言説や自由律俳句を出し続けてきた彫刻家にして陶芸家、オブジェ作家。『宇宙の岸辺で』0号で紹介したその彼が、昨年夏に、友人のトロンが訪ねた時に、癌の発症で緊急入院しての、あっという間だった。手ぬ花(手が咲かせる花)を咲かせ続けて、散っていった。その流星のきら星の軌跡。刻まれつづけてゆくにちがいない。「死ぬのに持って来いの日和 待ちどおしいけど 今日じゃない」(「日月宙自由律俳句」107号2020年秋)。彼の作った「般若心経風鈴」を彼におくろう。
宇宙の岸辺で 12号 2021年12月
12月20日
ダダカンこと糸井貫二が2021年12月19日午前11時30分、101歳で旅立っていったと。
1992年の訪問記を記す。
ダダイスト・イトイカンジ (『スピリットの森から』1992)
ダダイスト・イトイカンジに仙台で再会してきた。再会といっても、二十数年前の1970年に、一度会ったきりである。それは、70年安保闘争の反体制の嵐が吹き荒れていた時で、ぼくは前年にニューヨークから4年ぶりに帰ってきたばかりだった。
帰ったばかりのぼくはまだ家を持たず、あちこち居候をしていて、その日は、加藤好弘が主宰していた「0次元商会」に居たのだと思う。
そこに仙台から今浦島といった風貌で、山高帽を被ったダダイスト・イトイカンジことダダカンが現れたのだった。当時もうすでに、彼は伝説的人物となっていて、ぼくなどもその名前をどこかで聞いたことがあったかもしれないといった昔々の出来事で、それは歴史的人物との出会いを思わせるものだった。
かつて東京に住んでいたことがあったものの、今では全く様子が変わってしまっていて、どう行ったらいいのか分かりませんというダダカンを、一番時間のあったぼくが三日ばかり、東京案内をして、いくつかの溜まり場を回り歩くことになった。
どこを回ったかは、今では定かではないが、反安保、ベトナム反戦などの反体制運動の最中で、ぼくたちというのは、アンダーグラウンド文化の担い手といったところだがは、反体制運動に連帯して、反博(反大阪万国博覧会)の文化闘争を展開している時で、おそらくそれらの幾つかのポイントや集会、アジトを回ったのだろうと思う。
69年から70年にかけて、加藤好弘らの0次元集団が呼び掛けた反体制文化闘争は、熱狂的な雰囲気の中で、肉体を賭けたラジカリズムへと発展していった。
反安保の拠点の一つだった京都大学の西部講堂前で、0次元集団は、白昼、全裸のパホーマンス(当時はハプニングと呼ばれていた)儀式を繰り広げて、熱い連帯のメッセージを送ったりした。だが、この全裸のハプニングが、芸術行為という範囲に収まっていた間は、何の問題もなかったが、それが一度、政治的な反体制色を帯びてくるや、弾圧が始まった。
公然猥褻物陳列罪という名目で加藤たちは逮捕され、いくつかのスポットが家宅捜査を受けたのだった。
この間、加藤たちは『いなばの白うさぎ』という全裸のハプニング儀式の映画を製作し、ぼくがその撮影を担当してフィルムを回した。撮影は東京のサウナから千葉の九十九里浜、名古屋の極楽山に及び、長編の、とても気合の入ったものになった。それは当時のアンダーグラウンド文化の記念碑的作品だという気がする。
そして反安保、反ベトナム戦争から反博へという流れの中で、夏には大阪城公園で「反万国博覧会(反博)」を開いた。
この時ぼくは、巨大な六面スクリーンに展開するスペクタルな映画『グレイト・ソサエティ』(16_・カラー)を上映した。それは、アメリカCBS放送の年次会議のために、黄金の60年代といわれるアメリカ社会を捉え返しながら、その矛盾と欺瞞を映像の上に暴き出し、核の冷戦構造の向こうに広がる、いのちの世界への指向を問い掛けようとする映像ドキュメント・コラージュとして、ニューヨークで友人と製作したものだった。
この時、ダダカンは、めがね男と共に、密かに万博会場に忍び込み、開幕当日、岡本太郎の作った太陽の塔前で全裸のダダイスト・ハプニングを繰り広げて走り回った。このハプニングの間にめがね男は太陽の塔によじ登って篭城。こうしてこのハプニングはTVを通して多くの人々が体験するところとなり、記憶されている人も多いのではないかと思う。
このハプニングを最後にダダカンはぼくたちの歴史から消えていった。いや消されていったと言った方がいいのだろうと思う。「人生そのものをカンバスにして生きてきた」というダダイスト・イトイカンジは、芸術と人生を分け、そこから政治やラジカリズムを排して、再び芸術を芸術という安全な範疇のみに温存してしまったファッショナブルな新しい世代には受け入れられなくなり、無用の人となってしまったのだろう。
以後十数年間音信不通で、風の便りにその行方を知るばかりだったが、86年にわかこが初めての絵画展を開いた時、ダダカンからラブレターが舞い込み、それ以後、通信を送る度に、ラブレターが送られてくるようになった。
それは、勃起したゆたかなオチンチンの切り抜きで、それに彼のその部分の、陰毛を幾本か抜いて添えたもので、彼の精一杯の愛情表現だった。それに加えて、彼がやっている「メイルアート(郵送によるアート行為)」に寄せられた世界各地からのメイルアートが同封されていた。
そしてこの度仙台に招かれることになり、何としてもダダカンに会っておこうと思ったのだった。「スピリット・オブ・プレイス」のチラシと共に、来庵の意を伝える手紙を出しておいたところ、早速に返事をもらった。
「拝復、お手紙ありがとうございます。お元気で御活動の様子うれしく存じます。お多忙中にもかかわらず、貴男のなつかしきお顔が拝見出来れば、私もとてもうれしく思いますが、健康すぐれず、もう10年余りは安居蟄居の生活をしており、電話もありませんが、家は市井にありますので、いつでもお出下さればお会いできます。
無一物 きょうこれだけの 冬来つつ
21,11,91 寛二拝 」とあった。
「無一物 きょうこれだけの 冬来つつ」にとても侘しいものを感じながら仙台に向かった。
仙台に着いて、会場の現地スタッフにダダカンの消息を尋ねても、誰一人知る人はいなかったばかりが、ダダカンそのものを知る人もいなかった。やっと一人だけいたが、もう十数年会っていないとのことだった。
「いやー、ダダカンから『スピリット・オブ・プレイス』にもメッセージが届いているんですよ」とその一人が言う。 「で、展示してあるの?」
「いえ、展示出来ないんですよ」
「例の、オチンチンの切り抜きでしょう。あれはダダカンの愛情表現なんだから、展示していいんじゃないの?」
「いやー、この会場の人、それが分からないから」
と、仰る。
綺麗ごとの世界の中で、一つの時代が終わったのだろうか?
三日目の午後、やっと時間を見つけ、車を借りて出掛けた。
住所にある、およそその場所とおぼしき所に出た。と、まさにこれに違いないという、その家があり、やはりそれだった。
回りの日常空間からは明らかに異空間をなしていて、それはもう数十年間異化と風化と腐化のままに任せて、自然の風倒木の景色へと溶け入ってしまいそうな家だった。
きしんだ玄関の戸を開け、声を掛けた。
ややあって、この風景に劣らぬ、黒いロングヘヤーに、白髪まじりの長い顎髯をたくわえたその人が立ち現れた。
二十年ぶりの再会に、深々とした感動が心の内を流れてゆくのが互いに感じられた。
「おおえさん、幾つになりましたか。私71です」
「ぼくは今年で49です」
「そうですかー」と彼はいとも感慨深げに言った。
「体がお悪いということですが・・・」
「いやー、痔なんです。痛まないんですが、若い時からずうっと痔に悩まされていましてね。調子が良くないんです。 若い時は、痔だというので徴兵を免れて、その時行った人たちは皆南方で戦死しましたから、行っていたら死んでいた
でしょうね。当時、戦争に行かないものは非国民でしたから、
戦闘には行きたくって、やっと徴兵が来まして、鹿児島の特攻隊に入ったんです。行ったらもう飛ぶ飛行機なんかなくって、毎日塹壕堀りですわ。塹壕掘ってると敵機が飛んできま
して、ビラを撒いていくんですねー。やっと10b進んだね、
塹壕から運び出した土の量で分かるよとか書いてあって、慌てて堀出した土を隠すなんてことをしてました。で、原爆投下の噂もすぐに入ってきましてねー・・・それで終戦を迎え
ました。戦争が終わっても、すぐには返してくれないんです。
世話になった村への御奉公やということで道路工事をしてから返されましたわー・・・」
そしておそらく、戦前、戦後の大きな価値観の転換の中で見たものが、イトイカンジをダダイズムに走らせたのではなかろうか。限りなきダダイズムの果てにこそ、真の再生があるのだと。
耳を傾けながら部屋を見回すと、赤く塗られた三十aばかりの大きなオチンチンや山高帽、いわくありげな様々なオブジェが散乱するかのように所を得、小さなホーム炬燵の回りに、彼の日常のすべてが投げ出されるように転がっていた。そこに座を占めながら、茶を沸かしたり、メイルアートの製作をしたり、日常の何もかもが用を足すことができるようになっていた。要するに、自分の座の回りにすべてを散らかしてあって、無為自然に任されているようだった。おそらくそこでは、茶碗は自分で自分を浄化し、己を再生するのだろうと思われる。まさに仙人の世界である。
「あの万博のハプニングで、精神病院に入れられましてね。
出てから一度仙台に帰って来ましたら、当時中学を出たばかりの息子が、親父の面倒をみたるからというので、当時息子のいた京都に引き取られていきましてね
でもまた、親父が残してくれたこの家が仙台にあるので、帰ってきたんですわ。その時何も無かったんですが、後僅かばかり掛け金を掛ければ、少ないけど年金が貰えるからと言われて、すこしだけ掛け金を払って、それで今月二万円貰っているんです。これがその通帳です」
と言って、ダダカンはぼくにそれを見せた。
「食費や何やらで月四千円あれば十分生活できるので、後の残りで、孫やらにおこずかいを遣れるんですよ」
と彼はにこやかに笑った。
歯もなく、柔らかな自前手作りの、胡麻入りパンや麦雑炊を食べているとのことだった。
「胡麻をすって、それに粉ミルクと小麦粉と卵を一個入れて、ぐるぐると捏ねて、そのままこの小型の炊飯器にいれて焼くんです」
と言って、ダダカン手作りのパンを出された。パンというよりは、ケーキに近く、すり潰した胡麻の薫りが美味しく、味わい深いものだった。
「その息子がサラ金に手を出して、夜逃げしまして、私の所に取り立てにくるんですね。あの人たちは誠意には弱いんですね。私にほとんど収入が無いのは向こうでも分かっていて、来るたびに誠意を示して、車代というわけで千円ずつ払いまして、するとちゃんと領収書置いていくんですね。そうこうする内に利子の方が何十倍にもなりまして、すごい額になっていったんですね。そうしてる内に、やっと元金だけは払え終える所まできたんです。そしたらある日、返済完了しましたと言って借用証書を返して寄越したんですよ……」 いたって感心しながら話すのだが、終わってしまえば何事も笑い話となる。
「そしたら、息子が帰ってきましてねー」
「返済が終わったというのを知って帰ってきたんですか」 「いえ、違うんです。交通違反をやって、どうしても一度こっちに帰ってこないとしようがなくなったらしいんです。それで今こっちのパチンコ屋に勤めて、店長やってます」
「その息子が、この間、親父のところにはテレビもないというので、要らないというのにテレビを買って持ってきましてね。見てたら、お昼の番組で『京のシルクロード』というのがあって……」
「ぼくも、この間、それ見ましたよ」
「その番組で西陣織の人が出てまして、よく見たら、私の息子が出てるんです。息子といっても、私の最初の妻との間の子供なんですが。
私は『人生をカンバスにして生きてゆくんだ』と言って妻の所を出てしまったんですが、その後何度か手紙を出したものの、妻の母に握り潰されたみたいで、妻の所には届かなかったんです。それで妻は、お父さんは戦死したと言いふくめて、一人息子を育ててくれたんですね。
連絡を取りましたら、46才になるその息子から手紙がきましてねー。これです」
と言って、息子の手紙をぼくに見せた。
戦死したと思われていた父に出会った46才の息子の、切々とした思いが、涙が滲むように語られていた。読みながら涙が零れてくるのを抑えることができなかった。
そして「お父さん、早く大きな病院に行って、痔を治して下さい。お父さんは芸術行為をされているとのこと、どんな絵をお描きなのでしょうか・・・」などとあった。
「女房もいて子供もいる息子に、いきなりオチンチンの切り抜き送るわけにもいきませんしね。それで奥さんが帰ってしまったら、たいへんですから・・・」
「これはもう、ドラマですね。家族物語ですねー。痔でなかったら、とっくに戦死していたでしょうし、息子が交通違反をしなければ、帰ってきてテレビを持ってくることもなかったでしょうし、そのテレビを見ることがなければ、京都の息子に出会うこともなかったでしょうから・・・」
「いやー、長生きしててよかったですよー」
ダダカン71才の涙がそこにあった。
ダダカンに再会して、一度目もそうであったが、その人がそこにいるだけで、それでいい、それで十分だという人、それがダダカンなのだと思った。
宇宙の岸辺で 11号 2021年11月
11月4日
せんだいメディアテークでダダイスト・ダダカンこと糸井貫二百歳を記念する「ダダカン連」展がはじまるという。ダダカン百歳、すごい。横尾忠則も、デザインはお仕事、絵はライフと、エネルギーのほとばしるままに描いて「GENKYO--源郷、幻境、現況」展を開き、パワー全開だけれども、今日は草間彌生の溢れるばかりの水玉マークの富士山制作とその版画化の作業が放映されていた。赤富士に加えて、黒冨士を指してこれはわたしが死んだ後から見た富士山と。魂のさわぎゆく光景がある。花粉の中心を歩きつづけるそれら--。
11月5日
なぜ人は美を求めるのか。美に魅入られるのか。なぜ美が存在するのか。
美という至福、超絶。なぜ人は超絶しようと、我を超えようとするのか。
我を超えることが、なぜ至福なのか。
なぜ人には超我への衝動が組み込まれてあるのか。
なぜ真・善・美なるものが存在するのか。
我を超えて在ることが、全一であることが、意識の、精神の、魂の本然なのだからなのだろう。
意識、精神、魂は、わたしの内に、宇宙的な全一として在る。
それら全一が、美を成し、真を成し、善を成して在るということ。
その全一を問うことの不可能性--!
宇宙の岸辺で 10号 2021年10月
10月29日
『DEAL』16号が送られてきた。
死と存在の革命の中にあるもの。--在るの不可思議を生きる。
10月9日 秋晴れの下、自然農「ふゆみず田んぼ」の、手刈りによる稲刈り。びっしりと生い茂った草のじゅうたんの中で育った稲たちがある。豊かの一刻がある。
10月3日
特集上映『アンダーグラウンド・シネマ・フェスティバル』が東京・京都・浜松の3都市で開催されるという。
アングラの巨匠・岡部道男の全作品の上映に加え、岡部作品にも登場する、ゼロ次元、告陰、おおえまさのりの映像作品も全てデジタルリマスター版で上映。
60〜70年代の日本のアンダーグラウンド・カルチャーの爆発が観られる貴重な機会です。貴重な映像作品も多数。豪華ゲストにも注目です。
この閉塞的な世間の空気を揺るがす、自由で美しいカオスの世界をぜひ体験してください。
11/22・23東京・三鷹SCOOL、12/1〜5京都・ルーメン・ギャラリー、12/12・13浜松市鴨江アートセンター、12/27東京・渋谷ユーロライブ。
詳細は専用ホームページでご覧ください。
https://peraichi.com/landing_pages/view/asugcf32
10月1日 神無月に--。
この宇宙は、たまたまこのように今あるだけであり、
その自由さにおいて
奇蹟的である。
存在が存在するという奇跡--。
生死(一瞬一瞬の成る)に彩られた生命(いのち)--。
見ることによって世界は生まれ
感受することによって世界は生まれ
考えることによって世界は生まれる。
世界は考えの中に、感受の中に、見るの中に在る。
--ただそのように〈見える〉だけである。
見えているのが〈宇宙〉なのだから
どこかへ行くこともない。
〈魂するこれ(私)〉は宇宙。
宇宙が〈我〉に参集して在る--。
宇宙の岸辺で 9号 2021年9月
9月23日
彼岸の日に--。
彼岸の日に--。
(今ここしかないから)
今ここにしかない彼岸。
今ここというも
今ここなんて、どこにもない。
つかみどころのない、この絶対原点--。
0(ゼロ)で永遠というか。
寂滅の現前--。
空(くう)の超絶(エクスタシー)--というか。
野菊の咲いてある--。
赤蜻蛉の飛びてある--。
刻一刻の、今ここから
すべてが滑り落ち
今ここに
すべてがやってきて、現前する。
--不可思議の一極点。
止まるものなし。
--〈存在〉の妙味。
(〈そこ〉に)
〈わたし〉はいない。
〈超絶(無境界の、全宇宙的精神、魂)〉があるだけ--。
9月18日 紫式部の衣を羽織って実をゆらす〈それ(ムラサキシキブ)〉。
ことばと共に世界ははじまり
ことばの中に世界はある。
ことばによって世界はつかみ取られ、立ち上がる。
光あれということによって、光は立ち現れる。
ことば以前に世界はなく
ことばによって世界は立ち現れてきた。
--ことばは魔法だった。
(人にとって、ことばは宇宙創世のビッグバンだった、それによって宇宙が立ち現れたのだ。)
ことばの発出の
直前にひろがる感受の〈それ〉。
〈それ〉があって、ことばが発せられる。
〈それ〉は、〈神〉ならざる〈カミ〉。
--非人称(無境界)の〈精神〉、〈魂なるもの〉。
ビート・ゼネレーションが、サイケデリック・ゼネレーションが、そして人々が、何万年の人類が求めてきたもの--〈わたし〉とは何だ?の〈それ〉。
〈わたし〉とは〈それ〉だ。
この身の〈それ〉。--永遠の時空の中で。
9月9日
重陽。 群れ咲くつりふねそうを雨の野に狩る。
つりふねそうの野に在りてこそ。
人もまた、野に在りてこそ--。
情報産業化社会、スマホの中にすべてが在る世界、そしてコロナ禍……。
いよいよますます、自然から離れすぎてしまっている。
己の自然、己の存在。
この宇宙に在ることの、己の存在を見つめ直すこと--。
存在の不思議を見つめ直すこと--。
存在するとはどういうことかと。
わたしとは何だと。
宇宙の夢を見ている〈わたし〉とは、宇宙によって夢見られている〈わたし〉である。
宇宙を〈わたし〉として、宇宙を、その非人称の意識、精神、魂を生きてゆく。
そこには壮大な光景が広がっている。
世界とは、〈わたし〉によって感受された世界であるからには、世界は感受された精神、考えであり、考え(思考、物語、幻想)が世界を作り出している。国家であり、社会、貨幣、文化、宗教、教条、主義、規範、アイデンティティ……。
誰か(アイデンティティ)などというものはない。
誰でもないものが、誰でもないものと生きているのだ。何を巡って殺し合わなければならないというのか。
いちえんそう惑星 photo by 高島真笑庵
9月2日
友人の一人が、身を空(くう)に投げて、旅立っていった。
あの快活で、タフで、聡明で、そして未知の世界に果敢に分け入ってきた魂が。
たくさんの企画を共にしてきた。いつも少し外れた、しかし確とたしかな視点から、豊かでパワフルなヴィジョンを前へ前へと開いて、力を与えてくれる人であった。我が家の家づくりには、土壁を作りたいと言うと、土壁職人の達人を紹介してくれたり、自然農の米作りには冬期湛水の「ふゆみず田んぼ」を広めていた「めだかの学校」を紹介してくれ、そこから我が家での「ふゆみず田んぼ」がはじまっていったのだった。
しばしば精神を病んでは、入院していたものの、いつもタフにトンネルを潜り抜けて、以前にも増して、快活にカムバックしていたものだったが。
暗い迷路のようなトンネルの中で、何を見ていたのか、想像だにできない。一度その体験の話を聞いたことがあるけれども、何とも思い出せない。壮絶な笑い話として聞き流してしまったからだろう。心理的メカニズムは分からないけれども、おそらく答えのない謎に出会ってしまったのだろう。--生死の何たるか。
この七月に入院したときも、快癒するものと軽く思っていたものの、退院後、間もなく、身を空(くう)に投げて、旅立っていった。
少し早すぎたかも知れないけども、めいっぱい夢見(悩み、考え)、めいっぱい生き切った生であった。いっぱいいっぱい夢を開けてくれた。その大きな精神として、その魂として彼女は永遠に生きつづけている。いてくれて、ありがとう。みんなそう思っているよ。
今、生死の何たるかを彼女から問われている〈わたし〉がいる。飛んでもいいんだよね。空(くう)なんだから。宇宙は一つの冗談?!
それにも増して、奇跡の生である。奇跡の生の、在る。在るだけ。そう、死はない。生から死に移り替わるのではない。生あるときは生、死あるときは死。そう、死は体験できない。認識する主体がそこにはないからだ。死体があるだけだ、他者の死が。〈わたし〉の死はない。
「死にたい」というその〈わたし〉。そもそも〈わたし〉というのが妄想なのだ。世界を感受している〈それ(意識、精神)〉を〈わたし〉言ってしまったところに、存在の問題の、源があるのだ。〈それ〉、全宇宙を感受する〈それ〉は、全宇宙的な〈それ(非人称の意識、精神)〉であって、個別的〈わたし〉ではありえない。
在るとは不可思議。そして精神する存在とはますます摩訶不思議な存在である。この宇宙は何をしようとしているのだろうか。〈わたし〉とは何だ?
答えはない。問うばかり。限りなき未知のある。
存在するとはどういうことかと問うそこにこそ、存在を、世界を明らめる源がある。
――今ここ(絶対の原点)に、在る。
宇宙の岸辺で 8号 2021年8月
8月17日
雨露の滴を宿して赤紫の吊り舟草のある。
〈存在の革命ということについてのいくつかのこと〉
わたしは誰か、存在しているということはどういうことなのかと自己存在を問いつづけること--。われわれは、この宇宙は何をしようとしているのだろうか--。
8月5日 35℃の猛暑。涼しい高原に出かけようと、1988年に「いのちの祭り」を開催した富士見町のパノラマスキー場にでかけた。祭り以来はじめて、33年ぶり。正面のゲレンデはそのままだ。1988年8月8日、四千人の人々がまつりにまつったそこに、人一人っ子いない。
「撮影:迫水正一(SAKOMIZU,
Syouichi)」1988年8月8日
ゴンドラに乗り、1750mの入笠山の山頂下の高原に到着。涼しい秋風が吹き、高原のお花畑は秋の花々が咲き乱れていた。藤袴、母子草、女郎花、りんどう、日光きすげ、松虫草……。
宇宙の岸辺で 7号 2021年7月
7月4日
しとしとと雨の中、ふゆみず田んぼを見にゆくと、ふゆみず田んぼの一角を占めて広がりつづけている蓮田に、ついに縄文蓮が一輪、開花。彼の世が開いてある。
全的宇宙の〈わたし〉がいるばかり。
宇宙が〈わたし〉を通して夢見ている。
そう、宇宙が躍っている--己の夢を。
只、(全的)宇宙が在るだけだ。
(そこで)宇宙を遊んでいる--。
宇宙の岸辺で 6号 2021年6月
6月1日
不耕起の冬期湛水のふゆみず田んぼの田植をはじめる。苗床から早苗を取り、一株一株、田に植えてゆく。不耕起ながら泥田であって手植えができ、無肥料無農薬でありながら、毎年、一年の糧を頂けている。
死は存在しない。(無はない。存在しか存在しない。他者の死があるだけである。死を自覚するわたしは、死のそこにいはしない。死は観念である。だが人は、認知革命以来、観念の中で生きているから、大変なのだ。死は人類の究極の謎として在りつづけてきた。)それが死の哲学。
では何が在るのか。在るとはどういうことか。
世界は「わたし」において成立しているからには、すべての事象は〈わたし〉の内に包み込まれて在って、今ここに存在している。(今ここにすべてが存在しているからには、死後の生は問い得ない。無いは問い得ない。)
在るのは、考えている「これ(精神、自覚、魂)」があるばかりである。
「これ」は、「これ(非人称の、相入相即して個が全体であるもの、無境界なるもの)」であって、それを個別人称的「わたし」と呼んでしまったところに問題が発生してしまったのだ。それは世界のすべてを包み込んで在る無境界的、非実体的、非人称的なるものである他ない。
「これ」がただ在る。
時も空間も質量もない。その故に、永遠(絶対の今ここ)である。
その自覚に立つところ。
(あとは人のなす物語(妄想するつくりごと))
かくして肉体の死は永遠的存在への解放、精神の再びの誕生……。
それにしも、存在していることは、何とも不可思議である、謎である。解はない。
宇宙の岸辺で 5号 2021年5月
5月21日
世界はふしぎに満ちていた。
〈わたし(世界なるわたし)〉はふしぎに満ちていた。
そして今なお
謎のままだ。
(〈わたし〉がつくりなす永遠(時空を超えたそこ)の中で、そは永遠である。)
むらさきつゆくさの咲いて、しとと梅雨の雨のある。
5月16日
人類は〈進化〉の袋小路に入ってしまっている。人類は進化を誤ってしまったのだ。欲望の資本主義、環境汚染、独裁化、AIによる「知能化戦争(自律型兵器やナノ兵器)」。その果てにあるものは人類の滅。「私」ではなく、〈存在(非人称のわたし)〉を問いつづけることだ。そこに〈普遍〉へと開かれるものがある。
宇宙の岸辺で 4号 2021年4月
4月23日
以前吉福伸逸さんのことで取材に来た稲葉小太郎さんから、吉福伸逸とは何者かを追った『吉福伸逸とニューエイジの魂の旅 仏に逢うては仏を殺せ』(伝説のセラピストの真実)工作舎刊が送られてきた。吉福伸逸と関わった幾十人もへのインタビューからなる。よくここまで詳しく追跡してインタビューしたものだと思う。読みながら思うこと。
吉福さんは、その原体験として、リアリティ―に目覚めながら統合できずに狂気に陥ってしまった人々への愛おしい共感とその自立のなさへの悲しみがずっとあったのだろう。悲しみの共同体。
謎の神秘思想家グルジェフや悟りといった超個的な領域を扱おうとしたトランスパーソナル心理学とその実践としてのトランスパーソナ・セラピーといった目くらましの魔術(一つの夢物語にすぎないそれら)の罠をかけて、呪術の現場に巻き込み、〈自己〉をはぐらかしながら解き放って、人を〈存在〉そのものと立ち会わせ、なにものでもない〈そのもの〉へと存在を開示してゆく。存在の根底において、宇宙(存在)は一つのジョークにすぎないと知ってしまった者の、あらゆるものからの離脱への問いかけがそこにある。
最晩年、セラピーの後継者育成にまじに取り組んでいたとは、驚きである。吉福ワークは、吉福という存在がそこにいることによって成立しているワークなのだから、それはありえないのでは。だが、にもかかわらずなのだろう。死は究極の癒しであるとは彼の言である。すべてを受け入れ、すべてを解き放つ。彼の安らぐところである。一人の菩薩がハワイの海へと還っていった。
4月14日
そもそも「わたし」という主語を持ってしまった〈わたし〉。幼子のとき、〈わたし〉と発語した瞬間、それまで一体であった母なるもの(自然、マトリックス)から分かたれ、個別的な〈わたし〉を育んできた〈わたし〉。
たとえば宇宙には主語があるのだろうか。宇宙は〈わたし〉と発語する何かをもっているのだろうか。宇宙とはすべてであり、すべてであるからには、そこに(分かたれた)主語はありそうにない。述語しかない。〈在る〉だけがある。宇宙は非人称であり、そうであるからには、宇宙のひとかけらである〈わたし〉もまた、非人称である他ないものであることだろう。〈在る〉だけだ。
そもそも宇宙はこの〈わたし〉において実現している。〈わたし〉が宇宙なのだ。宇宙なるものの魂(意識、精神)の顕現としての〈わたし〉。宇宙という己の不可知を見つめている。己という宇宙の精神(普遍)を生きている。宇宙の立ち現れと共に〈在る〉。(そこに)主語はない。非人称の宇宙なる〈わたし〉が〈在る〉ばかり。
4月1日 エイプリルフールのごと、5月の初旬を彩る山吹が、黄色に身をほどいて咲きはじめる。朝、菅平の芋平さんから、プレゼントが届く。開けてみると、彼の作品である陶芸のマグカップが9点。芋平ワールドである。
4月4日 清明、春はひとっ飛び、はや、新緑の中に在る。
全世界が〈わたし〉において在る----永遠から永遠へと。
宇宙の岸辺で 3号 2021年3月
経本装丁の手作り製本の絵本『じゃんぴんぐ・まうす』が、40年ぶりに、遂に発刊となりました。
定価2200円(本体2000円+税)送料無料
申し込みは 郵便振替 いちえんそう 00130-7-79316
必ず通信欄に住所氏名をお書きください。
3月10日 フィラデルフィアのcollaborative cataloging japanのアン・足立さんから日本の60年代アヴァンギャルド映画の評論集
『Japanese Expanded Cinema and Intermedia--Critical Texts of
the 1960s』
が送られてきた。ぼくがニューヨークから帰国後間もなく『映画評論』に書いた「恍惚の美学とイッピー・レボリューション」(1969)が掲載されていた。
3月19日 チッチチッチと激しく鳴いて、燕が飛来。南の国から帰還だ。南の春を運んできてくれたよう。コブシが一斉に咲きはじめる。
3月24日 武川の神代桜は満開
宇宙の岸辺で 2号 2021年2月
標高730mのこの地にも梅が咲き出でてきた。2月6日
2月7日
〈わたし〉として世界はある--
(無いものはない。在るだけ。)
2月12日 春節。
振り返り見る。
世界は〈わたし〉において成立している。(それゆえ)世界は〈わたし(非人称のわたし)〉であり、その〈わたしなる精神〉の発露である〈ことば〉によって〈存在〉を〈存在〉たらしめている。〈ことば〉が〈存在〉となったのだ。そして〈存在〉を確証するべく、〈存在〉の謎を解くべく〈(神なる)大いなる物語〉を編み、〈物語〉の内に自らを溶解していった。〈生〉と〈死〉、〈ある〉と〈ない〉、〈内(わたし)〉と〈外(わたしでないもの)〉などなどと分節し、〈時間〉や〈空間〉、〈意味〉や〈価値〉や〈イデオロギー〉などなどを生み出し、〈文化〉や〈文明〉を産み出してきた。
それらのすべては〈わたし〉なる〈人〉の、つくり出した幻想である。認知革命によってつくり出された〈人〉の幻想(物語)としてある外にはどこにも存在しはしない。世界は〈わたし(人)〉の見ている夢なのだ。
かくして〈存在〉の謎は、謎のまま取り残されてありつづけている。それは、一人ひとりの〈わたし〉の内において見られ(感受され)、問われつづけてゆく他ないものである。生と死、在ると無い、永遠と無限……。
この宇宙にはいかなる〈意味〉もない(無意味ではなく非-意味)のものだから、答えなどない。果てのない問を生きる他ない。生まれることも、滅することもない、謎に満ちた〈ある〉奇蹟の覚知(精神、大いなるある)があるだけだ。
ニューヨーク近代美術館で、50数年前の1967年にニューヨーク時代に制作した映画『Great Society』が、コロナのため館内上映ができないため、2月11日から25日まで、オンライン上映されている。
刻一刻の〈今〉がある。
2月17日 時々雪が吹雪くように舞っている。
雪が吹雪いている。
この〈ある(吹雪いているわたし)〉とは、どういう〈ある〉なのだろうか。
満天の星々が輝いてある。
この〈ある(満天の星々であるわたし)〉とは、どういう〈ある〉なのだろうか。
刻一刻の、この〈ある〉。
吹雪く雪。
(寂滅現前)
2月19日
魂として人である。
「世界ふれあい街歩き」を見る。20数年前ポルポト政権によって民族大虐殺を受けたカンボジアの人々の、それにもかかわらずというか、それゆえにというか、その穏かな笑顔--永遠の笑み。「魂がないと生きてゆけませんから」と。人は魂の生きものである。魂として人である。魂を取り戻すことのできた人々の安らかな顔がある。
だが、この魂。魂とは何ぞや。魂とは、意識や精神といったもの以上の、全人格的、全生命的、全宇宙的な根源的な力に充ちた心する覚知、とでもいえるものなのだろうか。覚知されども、定義することは不可能である。すべてをすり抜けている。魂には主客がないからなのだろうか。非−時空で、永遠……。人は魂を生み出し、宇宙を魂と化してしまったのだ。
宇宙の岸辺で 1号(2021年1月)
1月1日
コロナウイルスによってわたしたちは今、生きるとはどういうことかを改めて問われている。ピシュス(自然、存在の不可思議)から「わたし(人)」を分け隔てたところに、ロゴス(言葉、論理)による文化や文明を作り上げてきたわたしたちの存在。わたしたちは今、コロナウイルスを制圧し、撲滅しようとやっきになっている。しかしわたしたち人はウイルスと共に進化してきたのであり、ウイルスを撲滅しようとするロゴス(言葉、論理)的行為の、その究極にあるAI化への道にわたしたちの未来が開けいるとは思われない。天然知能のあるところへと、今、舵を切る時である。
1月2日 『名前のない新聞』一・二月号(発売1月5日)より
『じゃんぴんぐ・まうす』との対話 ポストコロナの新しい物語のために
おおえまさのり
手作り製本の絵本『じゃんぴんぐ・まうす』が40年の時を経て、よみがえった。松栄印刷所の桝田屋昭子さん(あの『アイ・アム・ヒッピー』の増補改訂版の刊行者)の熱い思いに誘われて、ポストコロナの新しい物語としてここにプレゼントできることになりました。
わたしたちは、人としての目覚め以来、何万年にも渡って、星降る夜ごとに、存在の不思議と向かい合い、問いつづけてきたものだ。生とは、死とは。在るとはどういうことかと。
問う〈わたし〉がいる。世界とは、問う〈わたし(精神・意識)〉の内にある他はなく、世界は〈わたし〉の夢見だといえる。宇宙が見ている夢をわたしが夢見ているのである。
こうしてわたしたちは物語(夢)によって、物語(虚構)の中で生き、生かされている。
だが神という大きな物語が消え去り、今わたしたちは〈なぜ、在るのか〉という不可能な問いの前に、たった一人で向かい合わざるをえなってしまった。
にもかかわらず、AIのもたらしつつある過多な情報産業化社会の中で、そのことに気づくのは、はたと死を前にしたときのみである。死を突きつけるコロナ禍にもかかわらず、デジタル化に踊らされ、スマホで予約して、Go toキャンペーンに右往左往する姿は「ハーメルンの笛吹」の物語をほうふつとさせるものがある。どこへ行こうというのだろうか。世界はどこにあるというのだろうか。
とても世界がそんなところに在るとは思われない。
世界が〈わたし〉の夢見に他ならないからには、問われるべきは〈わたし〉の夢見であり、その夢を見ている〈わたし〉こそ問われるべきものである。
人という類がホモ・サピエンスになったその秘密は、およそ七万年前に起こった認知革命にあり、認知革命によって人類はホモ・サピエンス(賢いヒト)となった。それは「ないものを想像する力」であり、わたしたちは「ないものを想像する力」をもって物語を編み出し、社会を、文化を、このとほうもない文明を作り上げてきたとユヴァル・ノア・ハラリは言い、そして現実は「その神話を変えること、つまり別の物語を語ることによって、変更可能なのだ。適切な条件下では、神話はあっという間に現実を変えることができる」(『サピエンス全史』)と。
そんなわたしたちが今ここにいる。問いを、今再び、〈わたし〉にこそ向けるべきである、〈存在するとはどういうことか〉と、星降る宇宙の中で。
ではそろそろ、あなたは『じゃんぴんぐ・まうす』の旅に出る準備ができたろうか。
『じゃんぴんぐ・まうす』はネイティブ・アメリカンのシャイアン族に伝えられてきた、ヴィジョンを探求するヴィジョン・クエストや自己を捧げ尽くすサンダンスの儀式の意味を伝える物語である。
今やあなたはねずみでも、何にでもなることができる。ねずみであるあなたは、旅の中で熊やバファロオや鷲の持つ知恵に触れ合ってゆく。
そして『じゃんぴんぐ・まうす』の旅を終えて、あなたは〈在る〉ことの不可思議を捉え、飛翔する。
そこにはどんな新たなヴィジョンが開かれてあることだろうか。(今、わたしたちに必要なのは存在の変容なのではなかろうか、変化そのものになることだ。)
昔、大野一雄(舞踏家)さんから頂いた手紙に「御本(『じゃんぴんぐ・まうす』)を御送り頂きこれ又感動の中で御本を離し得ない気持で読まして頂きました。私が胎児でその恩恵の中で生きている様なよろこびでした。三十人近い『けいこ』の中で、絵端書や御本そしてその中に描かれている『言』。言が『絵』となった」と。
『じゃんぴんぐ・まうす』おおえまさのり訳画(経本装丁・函入り)は、わたしの企画する「いちえんそう」による、手作り製本の、自主出版です。月歴の正月(2月12日、少し遅れるかも)には出版される予定です。以前のものより一割ほど小さめの可愛いいプレゼント版になっています。
予約申し込み受付中。
申し込みは、郵便振替「いちえんそう」00130-7-79316 定価2000円+税(2200円・送料無料)。詳しくは https://ichienso.web.fc2.com/
1月7日 七草なずな、せり、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、唐土の鳥が渡らぬ先に、とんとんとんとんと、凍り付くような水の流れに摘んだ若菜を、刻み、豆腐と和えて七草の和え物と七草粥をつくり、お供えして、いただく。
この寒中ながら、オオイヌノフグリの小さな青紫の花がぽっと咲いている。野の花々の咲き出づる。野の原に庵を結ぶごと住むとかや--。
宇宙の感受--。
(生と死、在ると無い、永遠と無限……。)
宇宙は〈わたし(非人称のわたし・非人称の意識)〉である。
1月8日
(〈わたし(在る)というものの旅の〉--。)
時間空間を超え出た
非人称の〈永遠〉に在る。
超絶、可可大笑……宇宙的ジョーク。
非人称(無境界)の意識(自覚)。
宇宙である〈わたし〉。
1月12日 雪がはらはらと降りはじめ、ふんわりと銀世界。しんと静かである。
星降る夜に
1月18日 晴れて、陽射しの中は暖か。
考えることは、生きることである。全的感受がある。
精神(ロゴス)が転がり出てきたものが言葉(ロゴス)である。
人は〈存在(わたし)〉の意味の崩壊に、あるいはその意味の無いことに、存在の不安を覚える。だが、存在に意味があるのでもなく、また無意味なのでもない。非意味なのだ。ただ〈在る〉のだ。
1月20日 −10℃。
精神(魂)として在ること。
1月21日 この寒気の中、梅が身をほどいて、ぽっとつぼみを白く膨らませて、咲き出でてきた。梅の香のある。春のある。
この全宇宙が(意識、精神、魂として)〈わたし〉である。--〈在る〉として在りつづけている(不生不滅、無いものはないから。)
宇宙の岸辺で 0号(2020年12月)
芋平作「般若心経風鈴」
l1942年1月30日、生まれ落ちて、空爆の中を逃げまどい、ニューヨークで映像を追い掛け、サイケデリックの嵐の中を駆けぬけ、インドに旅し、チベットの死者の書を訳出し、トランスパーソナル(超個心理学)を吹き抜け、「いのちの祭り」を祀り、哲学の森を歩きし……と、花粉の中心、生の創造のただ中を歩きつづけて79年、刻刻の旅をしてきて、それで何だったのだろうか--。
意味も時空もすべて奪われたこの孤独な宇宙の、海の岸辺で、生の奇跡を、その不可思議を感受しつづけることだったのだろうか。
この宇宙の岸辺に寄する風景を記してみようと思う。
寒気が吹き込み(2020年12月17日)、雪が吹雪いた朝--凍てついた雪を溶かしてゆく暖かな日差しがある。秋に庭の柿をもぎ、皮をむいて干しておいた干柿をほうばる--奥深い味がある。深々とした時がある。
--〈存在〉を味わってみる。
今、反出生主義という考え方があると聞く。生の不条理へのNO。生が苦であるからには、生まれて来ないのがベストであり、生まれたいと承認して生まれてきたわけではないと。
しかし世界は在るように在るだけで、理由や意味があって在るわけではないから、NOともYESとも言いようがない。そもそも世界なんて、在るのか無いのか。
世界は〈わたし(意識、精神)〉の内に在るほかないから。〈わたし(意識、精神)〉がなければ、そもそも何も無かったわけだし--〈在る〉と言うものがいないのだから。
〈在る〉というところに立つ他ない。
人は生を享けた歓喜をなぜ楽しむことができないのだろうか。アダムとイブが知恵の木を食べたからだというのは正しかったのかもしれない。ユヴァル・ノア・ハラリが、人という類がホモ・サピエンスになったその秘密は、およそ七万年前に起こった認知革命にあり、認知革命によって人類はホモ・サピエンス(賢いヒト)となった。それは「ないものを想像する力」であり、わたしたちは「ないものを想像する力」をもって物語を編み出し、社会を、文化を、このとほうもない文明を作り上げてきたというごとくであるのだろう。虚構の中で虚構を重ね、ますます奪い、殺戮して、ますます苦渋し、滅のデッドエンドに向かってひた走っている。
それが宇宙の岸辺からの眺めなのかもしれない。
それとて意識の内の眺めというものだけれども。
12月19日 菅平の芋平さんから、注文しておいた、三万円也の、彼の学生時代からの六〇有余年の、カラーコピーの作品集が送られてきた。彫刻家ならではの、オブジェの陶芸作品の数々……。好き勝手に、遊びに遊んだ芋平宇宙。表題に「無垢への浄化の旅 振り返れば 瓦礫の山」とある。花粉の中心、生の創造の只中を歩きつづけた軌跡の跡形というべきか、瓦礫の山というべきか。狂気たりえない正気者の狂気。狂い切ってしまえば苦もなかったろう。それゆえの歩みの苦がある。空と切り捨てても、色の苦に目がゆく--菩薩たるか。この宇宙は一つの冗談だというのに。
「死ぬのに持って来いの日和 待ちどおしいけど 今日じゃない」と「日月宙自由律俳句」(107号2020年秋)に「辞世の短句」を綴りつつも、今年もまた個展を開くべく作品を作りつづけ、コロナで叶わなかったものの、それらの結晶化した(辞世の)作品群も収録されて輝きを放っている。
1989年2月に開かれた第四回個展(丸の内画廊)に寄せた、ぼくの文も収録されていた。
心経風鈴の心 おおえまさのり
『日月宙新聞』が送られてくるようになったのは、八ヶ岳に越して間もなくの頃だったと思う。そこから知られる‘いもへゑ,さんの姿は、おしっこを飲み、般若心経のふんどしをしめて、50ccのバイクに跨がり、桜吹雪の坂道を疾走するそれであり、桜に見惚れて40キロのスピードでダンプにぶつかり、あの世の手前までいったというそれであった。
その‘いもへゑ,さんの日月宙庵を菅平に訪ねたのは五年後の秋の終わりの、一昨日。もうそこは、時間がどこまでもとどまっているような雪の中だった。南面に広がる雪山を眺めながら、1971年頃小笠原父島の飯場で彫り始めたという108葉の『仮彫残画』をめくっていった。
−葉一葉めくるたびに、社会と自己とによって造り上げられてきた、さかしらな価値観、世界観といった枠組を、一つ一つ剥ぎ取りながら、その向こうに広がる、在るがままの神秘の世界と出合い続けてゆく、ワクワクとした生のプロセスの息づきが伝わってくる。
そして、その神秘の世界そのものとなってゆく彼がいる。彼は世界であり、互いに関係し合う世界のすべてが彼となる。「世界である彼」がそこにいる。今や、世界の事々があの創生の輝きに溶け入るまで、彼もまた解放されることはないという菩薩の誓願にも似たその道を、素手の剣で刹り拓きながら進む彼の姿が見えてくる。
そうした世界から湧き出てくるのが『日月宙新聞』であり、その神秘の門の内にそっと手をそえて、陶土のそこから生まれ出てきたのが彼の陶器であり、また書であり、オブジェなのであろう。
その、土の温もりのある皿と陶土スプーンのついたコーヒー・カップに熱いコーヒーが香り、陶土のグラスに水割りの氷が快く響きながら、彼の話しは巡っていった。
昨年の秋、彼は知人の妻の死に、ざっくりとした和紙の短冊の付いた般若心経風鈴を送ったという。
知人の彼は、窓辺に掛けた妻の写真の傍に、その風鈴を吊るし、寂滅現前するその音に心を傾けている内に、妻の遺骨を食べたくなったという。妻の頭蓋骨の丸い皿の部分を一かけら割り、カリカリと食べつづけたそうである。
その心経風鈴は、彼の心の内に鎮魂の風を送り、妻と空と一つとなって、自他なき「一」の世界へと超えでてゆくモメントを与えたのだった。それこそまさに、生あるものの唯一の救済であるものに違いない。悲しみを超え、死を超える鎮魂はそこにしかないのではなかろうか。
そうした「一」の妙へと人の心を誘ったそれもまた、そうしたあわいに立っているということであろう。
こうして見てくると菅平の日月宙庵に寓居する‘いもへゑ,さんとは、枯木に花を咲かせる、花咲か爺さんに違いないと思えてくる。
宇宙幾百億光年、花吹雪‥‥‥。
今、彼の手ぬ花(沖縄の白保では、手のあわいから生み出されるそれらを、手の咲かせる花、手ぬ花という)の椀で、八ヶ岳の雪の野に、茶を点てながらこれを書いている。
小淵沢にて
また今日は、南紀那智勝浦の芥さんこと福井福山人からも便りがあった。個展からの帰り道に妻の雲さんが脳梗塞で倒れ、自宅の十津川に帰れず、そのまま倒れた那智勝浦に住むことになったことごとが書かれていた。芥さんも今年は、雲さんを見送り終わり、京都や九州で久々の個展を開催。老境を遊んでいる。
12月21日 ふゆみず田んぼが凍り付いている。わかこが、今年採れた古代米ブレンド、ブレンドといっても黒米だと思って植えたものが、長粒の黒米、ジャポニカ種の黒米、赤米、福岡正信さんの新種ハッピーヒル、石白、武川などなどの混じり米の種籾だったため、幾多の種類のブレンドと相成って、これはこれでいいのではないかと、確かに炊いて食べてみたら美味しかったものだからと、今年はコロナで会えなかった友だちに、プレゼントとして送り、長年連載でお世話になってきた『街から』誌の本間さんにもお贈りした、返礼にと、宅急便で、ニューヨーク仕込みの洋菓子が送られてきた。早速にコーヒーのお伴に頂き、50数年前のニューヨークにしばし想いを馳せてみる。本間さんには、ニューヨーク時代の、わが青春の、サイケデリック・レボリューションを扱った『魂のアヴァンギャルド』も出してもらったものだ。生涯、刻一刻の青春である他ない。
12月23日 久々に、裏の丘陵を登る。降り積もった落ち葉をざくざくと踏みしめ踏みしめして歩をとる。ほんの20mばかりの高みながら、富士から甲斐駒まで見渡せ、下からは暖かな風が吹きあがってくる。
人は言葉に迷い、言葉の森をさ迷い歩きつづけてきた。まさに「はじめに言葉ありき」である。言葉が人、ホモ・サピエンス(賢い人)である。哲学の森をはじめ、言葉として世界は積み上がっている。言葉の森の一歩手前の感受において、世界は不可思議の森として在る。感受の岸辺。そここそ宇宙の岸辺なのであろう。宇宙のさざ波を聞き、たゆたい、宇宙の波濤に呑み込まれる。ブラックホールからホワイトホールへと。宇宙である〈わたし〉がいる。何事のあらんや。宇宙を吹き抜ける風--。〈無い〉もの(の感受)。(〈無い〉ものをどうして感受できるのか分からないけれども。)〈有る〉が〈無い〉であるところ、といったところであろうか。その宇宙において〈有る〉とも〈無い〉とも。吹き抜ける--。世界の最後の一点のあるところ。
12月24日 いよいよ年の瀬。コロナに明け暮れた一年。まだまだ終息しそうにない。来る年は、ポストコロナの方向性をこそ示すべき一年となりそう。
絵本『じゃんぴんぐ・まうす』を送り、『わかこのふしぎの大千世界』を送り、そして『わたしの「死の哲学」を編む--存在するとはどういうことか』を送り出そうと思う。
12月25日 宇宙の岸辺で、宇宙を一飲み--。